斜陽

ネガティヴ音大生の憂鬱

カプチーノの泡のようなこと

 

 

昨日に引き続き寒い。

季節の移ろいが嬉しいのは間違いないんだけれど、体と服が追いつかなくて少し憂鬱。

肌寒さは人を弱くするから....なんて言い訳を並べて、新宿で用を済ませた後そのままカフェに直行。

熱々のカプチーノをもらって、体の奥から温める。

いいなぁ、こういう時間が人生には必要なんだよなぁ。

 

 

ふわふわな泡を眺めながら考えを巡らせるのが好きだ。

昨日は、行く気のないくそ会社の内定式で、それを頑張って乗り越えた後に、彼から連絡をもらって3時ごろまで電話をした。

まぁ、それはそれは不純な内容だったからセフレらしいなぁで終わりなんだけれど、その時に一緒に金曜日に会う約束もしてくれたからそれが嬉しくて嬉しくて....。

 

飲み会後らしいけど、これを逃すと来週も再来週も仕事やら旅行やらで無理らしいから全然OKなんだ。

なんだかすごく申し訳なさそうなのがすごくいじらしくて、ついつい甘えさせたくなる。

私としてはセフレにそこまで様々考えを巡らせてくれるだけですごいと思うのだけど、そこは多分彼の人徳なんだと思う。

 

会って、ハグやキスをして、一緒に夜を共にできるだけでいいな。

好きだとか、もうこの際言わないでほしい。

ハラハラするし、変に期待するのもやだし、どうせその後すぐにごめんねって念押ししてくるんだから、最初からそんなこと言わなければいいのに。

ただ、他の女の話をしないでいてくれたらそれだけでいいんだけどなぁ。

まぁこれが1番難しい話なんだけど....。

 

 

たまに、本当にたまに、都心まで出た時に長身のサラリーマンを見ると、どきっとしてしまう時がある。

もしかして、なんてことを思ってしまう。

まずないことだって分かってるけど、本能的に彼を探してしまう。

 

たまに、本当にたまに、電車に乗った時にサラリーマンの隣に座って目を瞑って、この隣にある温もりが彼のものだったならなんて、考えてしまう時がある。

2人で一緒に日の登っている内に一緒にどこかに出かけていたなら、なんてことを夢想してしまう。

ありえないことなんて、私が1番分かっているはずなのに。

 

 

彼と私は決定的に違う。

生まれも育ちも、きっとこれから歩む人生も180度違う。

悲しいなぁとは思う。

けれど、きっとだからこそ惹かれているのだと思う。

そんな「ありえない生き方」に私は恋しているのだと思う。

それぐらい認めてあげないと、流石に私が可哀想だと思う。

 

いいんじゃないかな、そういう事があっても。

多分彼だって、少なからずそういう部分を面白いと思ってこうやって一緒に時間を過ごしてくれているのだから。

悲観しすぎるのはもったいないのかもしれない。

後少し、どれだけ彼と一緒にいられるか分からないけれど、この後少しを大事にできたらなと思う。

 

 

 

さて、彼の話は置いておいて。

今日はクソニートらしく新卒ハローワークに行ってきた。

3回目くらいだけど安心してお話をできるようになってきたからいい傾向だと思う。

今日は迷わずに行けたし、少し進歩だ。

 

クソニートは学歴がヤバイので新卒扱いにならないのだけど、できるところまでお手伝いするねと担当の方が優しく話を進めてくれている。

音大じゃ履歴書の書き方なんて教えてくれないから、一から丁寧に指導していただいて、途中カウンセリング的なこともしてくれて、本当に収穫の多い1時間だった。

就活は孤独な戦いだと思っていたけれど、世の中は多分全くそんなことなくて、勝手に引きこもって苦しくなってただけなんだなぁと痛感した。

 

 

1番刺さったのは私のこのネガティヴな性格の話になった時だ。

私は専門楽器のような性格ですと試作の履歴書に書いた。

これはどういう意味ですか?と聞かれて、控えめで他人の成功に喜びを感じる、いわば尽くすタイプですと答えた。

そしたらもっと深く突っ込まれて、なんで?と。

この質問が大分深く刺さって、目立ちたくないからですと本音がほろりと落ちた。

 

 

ーー目立ちたくない?なぜ?

 

ーー目立つと、人に嫌われてしまいますから....私は人に嫌われるのが1番怖いんです

 

ーーどうしてそうなってしまったんですか?

 

ーーそれは.....

 

ーー言いたくないことは言わなくても大丈夫ですからね

 

ーーはい....いえ、実は......

 

 

そこからいつかのブログに書いた中学時代の話をして、自己主張が強すぎるのがいけないのだと思い込んで自分を殺して生きてきたと伝えた。

きっと暗い表情で話をしていたけれど担当さんは親身になって聞いてくれて、今までよく頑張ってきたねと、本当に暖かい言葉をくれた。

 

そんな何気無い、ただの一言に、まるで救われたような気持ちになった。

おかしいかもしれないけれど、私はこのネガティヴこそが世の中を渡り歩く最善策だと思っていた。

だから、これは仕方のないことで、しなければいけない努力で、いわば義務のようなものだと確信していた。

 

だから、そんな風に労われて、努力を認められて、そんな風に暖かく悲しみを受け入れられるなんて思ってみなかった。

あぁ、おかしいなぁ、生理前で情緒不安定になっているのかな。

今思い出すだけでも泣きそうだ。

 

担当さんとの話はそこで終わらなかった。

 

 

ーーでも、これからもずっとそのままで生きていくの?辛くない?自分を抑えて、疲れない?

 

 

“これからもずっと”“そのままで生きていくの?”

この言葉も大分深くまで刺さった。

私はたかだか22年しか生きていなくて、これからの50年以上を、こんなちっぽけな傷のせいで無駄にしなければいけないのか。

そんなどこかで気づいてはいた何かを、再度目の前にドンと叩きつけられたような心地だった。

 

私の、一度きりしかない人としての一生を、たかだかあれだけのことで、一生引きずって、一生を棒に振るのか。

なんだろう、虚しいよな。

きっと、本当の私だったら、許さないよな。

私のものを、誰かのものにするのかって。

 

そんなグルグルしたものが、面談が終わった今でも酷く心にへばりついていて、まるで飲み終わってもなおカップに残り続けるカプチーノの泡のように、虚無を感じる。

 

きっと、このままではいけないし、このままではいられないのだと思う。

でも、今更洗い流して、元々のカップを見せつけるのは本当に勇気のいることで。

私にそれだけのことをやってみせる度胸があるのかと問われたら、きっと今は答えられない。

だってずっと、こうやってわざと自分を汚して相手をたててご機嫌とりをすることで世間を渡ってきたのだから。

 

 

本当に怖いけれど、この胸の痛みがいつか、すっかりなくなって、本来の私に生まれ変わる日が来て欲しい。

だから今から少しずつ、自分らしさを探しながら生きて生きたいと思う。

私らしさはこうだと、胸を張って言えるように。

 

 

これは多分、夢じゃなくて、近い未来かなうはずの目標。