実技試験に思うこと
梅雨明けの初夏、実技試験が終わった。
私にとっては長い梅雨だった。
自分自身をとことん追い込んだ数週間だったと思う。
音楽と現実の狭間を行ったり来たりして、ひたすら楽器の練習時間を確保するために睡眠時間を削った。
相当辛かった。
もう性格が変わってしまったと思えるくらいしんどかった。
でも一夜たった今となってはそれさえ愛おしい。
こうして過去の栄光とは美化されていくのだなと痛感している。
今回は大学生活最後の前期試験だった。
もう後期の卒業試験の曲は決まっているも同然だったので先生にも勿論自分の実力的にも無理を言ってコンクールで課題曲に設定されるような難曲を組み込んでもらった。
それは私が音大生になってから1番好きな曲で、ずっと聞いて、楽譜も手元に用意して、たまに少しさらってみたり、難しくてすぐに飽きたり、そんな曲だった。
まるで全体を澄み切った水面の向こう側の物語のようで、曲を通してずっと水に関わるストーリーを眺めているような美しさがあった。
梅雨の中傘をさしてトボトボ歩く女性だったり、風が吹いて傘が飛ばされたり、プールにドボンと落ちたり、梅雨が明けて入道雲が覗いたり、スコールが降ってジャングルのようになったり、それが収まってからっと晴れて汗がほとばしったり......
そんな形を変えながら姿を現わす水に思いをはせて、絶対サラサラした触り心地の雰囲気にしてやろうと思っていた.....のに......
実際私が吹いてみるとどうだろう、びっくりするほど熱くて厚くて。
もうひたすら焚き火に薪をくべるような作業。
ずっと変わらず燃え続けて、たまにぱちっとはぜたり揺らいだり、ただその程度。
違うんだ、私はそんなつもりじゃなかった。
もっとこう気がついたら心にまで染み込んでいた、ような音楽にしたかったのに。
試験の日、学校にいくまでにとぼとぼ歩く女性の気持ちを再現したくてなんとなくゆったり歩いてみたら、試験室に入室する手を重たげに動かしてみたりもした。
私はきっと、人生に孤独しか感じられない人間なのだと。
それを受け入れてくれる唯一の存在がこの雨で、この水なのだと。
そういう心持ちで挑みたかった。
けれど違った。
本来の私はそんな薄っぺらいものに隠されるような生ぬるい温度の持ち主ではなかった。
常に闘争心に駆られた獣であることを、自分のことであるのにすっかり忘れてしまっていた。
首輪の外れた獣はただ目の前の音に向かって走り続ける。
それは今回に限ってはいい方向に進んだらしく、先生方には皆余るほどの評価を頂いた。
途中、集中が切れてしまったというか、もう普通にバテてしまってむちゃくちゃなことになってしまったのだけれども、それでもなお高評価であったのだから喜ばずにはいられない。
情熱的だったらしい、過ちを恐れない姿勢があったらしい、私には分からないけれど、そういうプラスのみを求める私が確かにいたらしい。
嬉しい、本当に嬉しい。
これが去年の話だったならなぁ.....
褒められると、悲しくなってしまう。
私には届かないと見限ってしまった音楽に、あと半年で別れを告げなければならなくなってしまったことに、今やっと理解が追いついてきた。
あぁそうか、悲しいものなんだな。
好きなことを諦めるって、こんなにも目頭が熱くなることなんだな。
試験から一夜明けて、改めて当日に試験とは別で録音していたものを聞いた。
びっくりした。
昨日は真っ赤な音にしか聞こえなかったものが、まるで一夜にして陰りを落としてしまったような気がしたから。
私、こんな悲しい音で吹いていたのか。
そうか、私は戦っていたんじゃない。
ただ焚き火の前で火の番をしていたんじゃない。
自分自身の内の深淵を見つめて、泣いていたんだ。
ずっとずっと、悲しくてたまらない思いをしてきたから、今更になってなんだと、こんな胸の痛み知らないと、ただ声をあげて泣いていただけだったんだ。
夏の空はかなしいほどに青い。
ーーどうして空は青いのか。
それはきっと、憂いを胸に見上げているから。
だからきっと、青く見えるんでしょう。