斜陽

ネガティヴ音大生の憂鬱

好きになるって嫌いになること


人を好きになると、なんだか体の中ではとんでもないことが起こるみたいで、それまでの自分とはまるで作り変えられてしまったようになるのは私だけなんだろうか。

体に取り入れるもの全てが華やぐような....
例えば味覚や嗅覚、視覚や聴覚や多分触覚も、全て甘くとろけるように感じてしまう。
いつもなら感じない些細なことも美しく色づいて、私を柔らかく包み込むのだ。
そしてその感覚に溺れながら、永遠にこの夢から覚めなければいいのに....なんて......



まぁそんなのは無理な話なんだよね。
好きになって、それで報われることなんてごく稀で、運良く結ばれたとしてもそれ以上の幸福なんて望めるはずがない。
いやまぁそうでないと困る、個人的に。
(学生クソニートはこと恋愛に関して、人の幸せを願えない)


(先に言っておくと、これは恋愛経験のクソ浅い学生クソニートのほざくことなのであまり深くは考えないでほしい。
ただ書きたいから書くのであって同意を得たいから書くのではない。)



人を好きになるということは、つまり嫌いになるということなのだと私は強く思う。
浮き上がった泡が消えて無くなる運命なのと同じように、人の好意はいつまでも続かない。
例えどんなに好きだったとしても、いつかまるで嘘だったかのように嫌いになってしまう。

好きだと思っても、いつか嫌いになってしまうのが怖くて一歩踏み出せない。
嫌いになってしまいたくないくらい好きだから、だから一切関わらずに最初からなかったことにしよう。
気持ちを凍結保存して心のどこかに置き去りにして、よく分からないまま放置。

実際私がそうだから、きっと同じような性質を持った人間が他にもいるのだと思う。
目の前の幸福よりもいつか訪れるだろう悲しみを想ってしまう、そんな不器用な人間がこの世界には確かにいるはずなのだ。


あぁなぜ、それでも誰かを好きになってしまうのだろうか。
これほどまでに辛いことを、なぜ何度も何度も繰り返してしまうのだろう。
もう何度もそれで悲しい思いをしてきたのに、それでも好きになってしまうのか。

運命の糸が混じり合ったその点を、まるで祈るかのように見つめてしまうのはなぜ。
香りを思い出しては涙してしまうのは、たった一小節に願いをこめるのは、朝日を見つめられないのは......


結局、好きになってしまったらもう二度と元には戻れない。
嫌いになるまで好きで居続けるしかないのだ。
悲しいけれど、好きになってしまったのだから諦めるしかない。
かの引力に負けた、自分のせいなのだから。

終わりを意識すると生きやすくなるらしい。
終わりを意識しないでいられる愛を私はまだ知らない。