春の気配とやけくそ
冷え込んだ一昨日から一転、昨日今日はまるで3月のようなあたたかさで少し浮き足立っている自分がいる。
春生まれで太平洋側の土地で育った私にとってあたたかさは本当に自然なことで、やっと故郷にたどり着いたような、母親のお腹に戻ったような、そんな心地よさを感じるのだ。
ほんわりと柔らかい空気。
青い空とモンシロチョウ。
スプリンクラーからの水を吸った土と、名も知らぬ花々の香り。
実家は川の近くの畑に囲まれた小さな町にあって、街の中にお店は一軒もなかった。
道はくねくねと細く、その為車も余り通らない。
だから聞こえてくるのは鳥の可愛らしい鳴き声と木立を渡る風の音ばかり。
そんな美しいBGMを聴きながら飲むインスタントコーヒーは、都内のプロが豆から淹れたそれに引けをとらないくらい美味しいのだ。
真っ黒な液体を口に含み苦味の中のほのかな甘みや酸味を探し出し、ゆっくりと飲み込んで胃にあたたかみを落とす。
文字にするとなんとも奇妙な行為だが、私はこの日に一度の習慣がとても好きだ。
そんな心地よい記憶があるから、例え新年度というストレスフルな季節であっても春を嫌いにならないのだと思う。
私はどちらかというとストレスに敏感な方だと思う。
何かあるとすぐに体調を崩したり精神的に不安定になる。
まぁ端的に言うとメンタルが豆腐なのだ。
しかし私の一番厄介なポイントは、そのストレスに気づかないということだ。
自分では人並みに生きていると思っているのだが、気がつくとベッドから立ち上がれないほど消耗しきっていた.....なんてことがよくある。
人と挨拶をする、目を合わせる、連絡と共に日常会話をする。
そんな何気ない行動のうちに相手を注意深く観察してしまい、その一挙手一投足に様々な憶測を巡らせてしまう。
常に神経を使って為に気がつけば疲労困憊.....というようなことが多く思われる。
そして帰宅後ベッドの上で反省大会が開催され、「あの一言が余計だった」とか「あの話題を振った時の自分の表情がよくなかった」とか「あの時相手の返答のテンポが少し遅かった、何か悪いことをしてしまったのだろうか」とか本当にどうでもいいことを延々と考えてしまう。
しかもそれは次に生かされることがない。
分かっている私は馬鹿だ。
そしてその気づかないうちに溜まったストレスの行く先が浪費である。
本当に馬鹿だし、情けなくて恥ずかしい事なのだがどこかでこの汚い自分を晒しておかないといつまで経っても変わらない気がするので書いておくが本当に、今後この文章は読み返さないと思う。
そしてできれば一生この記事が人に読まれないことを願う。
知らないうちにストレスの溜まった私は何かにつけ浪費をする。
それはおしゃれな服であったりインテリアだったりすればまだいいのだが、最近の私の場合は主に食品だ。
カロリーの高いものであったり甘いものだったり....典型的なデブまっしぐらな食事をしかも夜にとっているのだ。
毎日毎日そんなことを続ければ部屋も肌も汚くなるし、罪悪感からメンタルの方の調子も悪くなる。
菓子やらなんやらの袋を持ってマンションに入る時絶対人に見られないように足早に部屋まで向かい、ゴミだらけの部屋で紙パックのジュースにストローをぶっ刺して飲む。
飲み終わったら適当に袋に詰めてそこらへんにぽい。
気がつけば1ヶ月以上ゴミ出しをしないのであっという間に立派な汚部屋。
その怠惰な生活と汚部屋にメンタルは益々やられ、更に浪費は激しくなる負のループ。
もちろんいつも金欠。
親の脛をかじっている分際で本当に何をしているんだろう。
立派な夢を語り地元を離れ上京して結果がこれだ。
自分よりできる人間はそこら中にいて、そういう人間はこんなカビの生えそうな生活はしていない。
なんだこれは、なんなんだ。
本当に恥ずかしい。
なんで私はこんなことを書いているんだろう。
いや、とりあえず文章にして自分のなかで整理をしようと思っただけなのだが案の定ダメージがでかい。
今私がしなければいけないのはとりあえず掃除だ。
掃除をして、空気を入れ替えて、メンタルを回復させる。
そして無理のない程度に生活習慣を改める。
一番大切なのはゴミを自ら持ち込まないこと、溜め込まないことだ。
なぜこれ以上余計なストレスを増やそうとするのか。
本当に自分のことなのに理解できない。
丁度いいことに明日業者が入るので絶対、何が何でも掃除をしなければいけない。
よし今やろう、この気合いでやってしまおう。
もうこの文章もここらへんでぶった切っろう。
よし、おわり!
窓を開けてまだ遠い故郷の春を想う。
どうか新年度を迎えた2ヶ月後の私が清らかでありますように。